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お葬式のはなし

 昨今は、葬儀を行わない、行うとしても家族葬に留めるという方が増えてきた。

 葬儀は死者とのお別れの儀式である。見送られる側というより、見送る側の考え方と気持ちの整理の手続なのだが、家族・親族がおられても、あまり盛大な葬儀は好まなくなっているようだ。高齢になると、お見送りする側の友人・知人も高齢化しており葬儀への参列が難しかったり、施設入所してからは地域の皆さんと距離ができてしまっていたり、と事情は様々だが、特にコロナ以降そうした傾向がはっきりしてきた。一昔前であれば、将来の葬儀費用を毎月積み立てる形の葬儀業者が沢山居たし、積立で葬儀の祭壇代が割引されるといった特典が売り物になっていたが、最早そうした積立で葬儀に備えるというやり方は、時代に合わなくなってきているのかも知れない。

 

 後見事件を多く担うようになったことから、これまでいくつもの葬儀をあげる機会があった。葬儀は、それぞれ故人の来歴や、生前の関係が反映していて思い出深いが、ある身寄りのない女性をお見送りしたことは特に印象に残っている。

 施設で生活をされていたが、社交的な方だったので、入居者と声を交わしたり、一緒に散歩したりという関係を作っていた。彼女は「戒名も位牌もお坊さんも何も要らないけど、お花一杯で送ってね」と私に死後の事務として葬儀の希望を託していた。何年か経ったとき、急な病気で倒れて入院したところ、「このまま病院着では死にたくないわ」と仰る。さっそく施設スタッフと相談して態勢を整え、彼女に施設に戻っていただき最期を皆の看取りの中で迎えていただいた。

 さて、葬儀だ。施設が空いている談話室を貸してくれたので、そこにご遺体を安置させていただいた。「花一杯ね」がご希望だったので、葬儀業者に頼んで部屋にはお花を一杯飾って貰った。位牌なし、遺影なし、祭壇なし、お坊さんなし。それでも色とりどりの花に囲まれた彼女の所に、施設の入居者が次々と挨拶にやってこられた。普通なら斎場までやって来られないけれど、ここは食堂に行くついでに立ち寄れる場所。思い思いにやってきては、彼女に声を掛け、手を合わせておられた。

 正直なところ、私は、生前、彼女から施設に入ると聞かされたとき、そんなに慌てなくてもと思ったものだ。それでも、次々とお別れの挨拶に来られる入居者の姿を拝見して、身寄りのない彼女からすれば、遠くの血縁より近くの友人。近くの友人も高齢化して身動き取れなくなることを想定すると、最期の時間を過ごす方法として考えた末の決断だったのかも知れないと思い直した。

 翌日、私は、棺の中をお花で一杯にして彼女と一緒に火葬場に向かった。施設職員と何人かの入居者が玄関先まで見送ってくれた。もう彼女とおしゃべりできないのは寂しいけれど、位牌なし、遺影なし、祭壇なし、お坊さんなしで花一杯のお見送りに友人・知人が挨拶に来てくれて、彼女もきっと満足されたのではないかと思っている。

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